今日も自転車押しが神峰、大日と続いて、さすがに参ってきた。。
しかも、神峰から大日の間の40キロ弱、激しい向かい風で、進まないどころか、橋の上等は風で車道に倒れそうになるので押して通る始末。。
しかしそれにしても疲れ過ぎてないか。。?
と思っていたら何の事はない、77キロも走っていたのだ。たぶん想定していたルートとはかなり違う道を行ったのだ。
実は明日も高知で連泊する。この先の宿泊先が週末で取れないからだ。
明日は、31 32 33 で、たぶん 34。そしてはりまや橋近辺に戻る目論み。
明後日は雨らしいので、軽くしていおきたい。
今村さん、こんばんは。
ReplyDeleteかなり過酷なお遍路でびっくりしています。
あまりにも過酷で疲れてくると、何が目的で何が手段だったか見失ったりしませんか?
なんだか日々の自分に投影して勝手に宗教的な雰囲気に浸ってしまいました。
どうも。。
ReplyDelete88札所までお参り続けることが目的。
その手段としての自転車。
計画段階の初期では「観光」「旅行」なども盛り込もうとしていたが、いろいろな人の体験談などを知るにつけ、それでは最後までいけるかどうか分からない。こういう結論になりました。
巡礼は宗教ですよ。私自身は仏教徒でなく、自分の家は神道で、出身学校はプロテスタントだったりします。が、お遍路ではそこにお寺があると信じられなければ先に進めない。
お寺にたどり着いた時、「ああ、有ってくれて良かった。。」こういう気持ちになります。背中に背負った「南無大師遍昭金剛」が導いてくれたか?そう思います。
これが信仰の始まりなのかも?