2011/05/07

回想:自転車でお遍路 2010/05/20-2 大宝寺、岩屋寺。

先程の上り坂から更にまだまだ上りは続く。が、地図によると真弓トンネルをピークに一旦下り坂となる。下がるのはそれはそれて恐怖なのだ。下がるということはまた上がるので。が、しばらくはフラットロードが続く。ひょっとすると岩屋寺も行けるかも?そんなことが頭をよぎり、この区間はかなり飛ばした。30 ~ 20 km/h ぐらいのログが残っている。私のペースでは早めなのだ。 f^^;;

そして、とんでも無い坂が現れ、ここは押してねぼることに。

 その先にあったのが、四十四番 大宝寺 山門。
これがかなりの激坂の上にあった。膝がきしむ。。
 四十四番 大宝寺 山門 付近。いかも石の階段が続く。。また足を痛めるな。。そんな事を考えていた。。
 四十四番 大宝寺 本堂側から見下ろす。急な階段。バリアフリーの対局にあるような階段。信じるものは這ってでも登る。これが信仰の姿か?















で、この後はこの激坂を下り、再び道路に戻る。そこからがまた坂また坂。。見上げるような坂をいくつか越え、そしてトンネルを超えたところから今度は下り始めた。。
そしてまた登る。。

そんなこんなで、まずはこの日の宿、岩谷荘にたどり着く。時間はまだ 16:00 ぐらいなのを確認して、まずは宿に入り、荷物を置かせてもらって空荷の状態で岩屋寺を目指した。すでに山道含めて 80km ほど走ってきているにもかかわらず、自転車は飛ぶように走る。羽が生えたとはこの事か?下りというのはあるが、それにしても地面の感触がない。これほど荷物は重いのだ。

子供の頃「リングにかけろ」という漫画が流行った。ボクシングの漫画なのだが、そのなかで「パワーリスト」「パワーアンクル」という重りをつけたまま訓練する話がある。で、試合の時にこれを外すのだが、足が、手が、見えない。羽のように動く。

こんなセリフが出てくる。まさにそういう感じだ。。

で、妄想はそこそこにして、程なく札所、岩屋寺に到着。

 四十五番 岩屋寺 山門。
この寺院は圧倒された。 88 のお寺を参拝するお寺の中で一番印象に残ったのがこの岩屋寺。山の上のお寺はどこも京都、奈良のお寺には見られない荒々しさがあるのだが、この寺は特別。

 車道から駐車場に入り込み、駐車場に自転車を置くと、その先に山道が見える。ちょっとした坂道だ。これを進んでいくと、このような階段が現れる。下りてくる人と声をかわすと、「これからまだまだ大変ですよ!!」と。
お寺はかなり上らしい。。
ビンディングシューズなので、また足を痛めるかも。。
 10 分ほど階段を登ると、ようやく上の方に建物が見えてきた。。
 なんだか崖が近くにあるなと。。気がつく。。
 山肌というか、岩だ。これは。岩屋寺とは岩の寺なのか?
 上まで登り切ってこの映像に驚く。切り立った岩の中に建物が建っている。そういえば、テレビでこんなのを見たことがある。切り立った岩の上に奇跡的にたつ寺みたいな紹介だった。ここはそこまで行かないが、だいたいどうやって資材を運んだのか?
そもそもなんでこんなところに。。?
 これは本堂だったか?写真取るのに気を取られすぎてどちらなのかカメラに納めていない。。。
で、私は写真を取りに来たのではないと思いだし、すぐにお参りを始めた。
お寺の写真は余り撮影していないのだが、この寺だけは別格。

ここに解説の書いた URL を載せておく。。

岩屋寺の説明
 下り道で気がついた。政治的なのか、そうでないのかよーわからんが、結構印象に残った。この看板。
 さて、再び自転車に乗り込む。なんか晴れ間が見えていることに気がつく。早速写真に収める。
 もう一枚。。。
ブログで映えるかな?

で、カラになので昇りにも関わりず、あっと言う間に宿にたどり着いた。。
宿の部屋はこんな感じ。。写真写りが悪いが、かなり綺麗でした。

晩飯もこんな感じ。 晩飯。














この日は 87.3km。

因みに、 T氏とはこの日も同じ宿。
ほぼ同ペース。だが、明日は道後温泉に入り、宿も別々になるだろうから、ということで連絡先を交換した。この日の最後の記載がそのことに触れている。

遍路の波長。


回想:自転車でお遍路 2010/05/20-1 宇和島から久万高原

この日はまちつやから出発なのだが、出発するまで気が効いていた。ライブログに残っていたのでこちらにも紹介しておく。

朝飯。は目玉焼きが何故か美味しかった。
で、これが感動した。 宿泊費のお釣り。 そう、五円玉が添えられていた。

ここはまた来たいな。

で、そんなこんなを後にして、小雨の中旅は続く。今日は九万高原を登る。

↓この写真は宇和島街道 大洲に向けて、途中にあるバス停 正信。どうということはないのだが、目印の代わりに撮影した。このあたりまでは上りがあるが、この後は延々下る。


宇和島街道 大洲 GC 付近 付近案内図。
 大洲 十夜ヶ橋 案内。
ここまでは行だったので快調にこれた。時間は 09:40 まだまだ早い。で、ここはお大師様が橋の下で寝たという伝説の場所、十夜ヶ橋だ。ここは別格の札所でもある。一歩一歩道の佐々木から是非夜用にとおすすめいただいたうちの一つ。
丁度、通り道でもあるので、立ち寄っている。
 大洲 十夜ヶ橋。立派なお堂だ。これは一般車道の続く中、突如出現する。このお堂の前が車道で車が行き交っているとは写真から想像もつかないと思う。
そして、お参りする人の軽自動車 (お遍路で車といえばタクシーか軽自動車だ。) もよく止まる。
 大洲 十夜ヶ橋 説明。
これがその説明書き。お遍路で金剛杖という杖を同行するのだが、この杖は弘法大師の化身と呼ばれている。山道では杖となり巡礼者を助けてくれる。が、一つタブーがあり、橋の上で杖をついてはならない。
この理由がこれだ。
橋の下では大師様が休まれているかも知れない。そういう思いを馳せて、杖をつかない。こういうことらしい。
私の場合は自転車なのでこれを持ち歩かなかつた。自転車の場合でもこれは化身なので持ち歩けば良いのだが、杖はそこそこ長く、自転車に積みきれない。車輪に挟むとか、走っているときにどこかに引っかかれば、杖が傷つくだけでなく、身の安全が保証できない。なので杖は諦めた。。。願わくば、短いアクセサリーの様な杖があると身につけたいと思っていたのだが、それは見つけることができなかった。
似た理由で傘も身につけていない。巡礼の傘はサイズが大きく、風の抵抗を大きくうけてしまう。歩きとは比較にならない程度の速度で走行するので、危険なのだ。事実、トンネルなどの中では隣を通過する車の風圧を大きく受け、走行しながら体が大きく左右に揺れる。その経験何度もした。倒れれば確実に車に巻き込まれて終わりだ。
私はこの代わりと言ってはなんだが、自分のリュックに自作の札を取り付けた。

お遍路の装備。

さて、ほどなく旅を続けることに。。



 大洲街道 五十崎 周辺案内。
 大洲街道 内子五十崎 近く 直売所。
この先で、こんなの見つけている。。交番と書かれていた。
 大洲街道 久万高原分岐点
 久万高原への案内。
ここで昼飯にしている。

この日の昼はおにぎり立ち食い。

で、ここらからだ、じわじわと傾斜がきつくなりだす。。

昼飯の場所から 20 分ほどで、登りがきついので休憩。三島神社の手前。まだ漕げる傾斜。小雨が降り続いている体はびしょびしょだという事をアピールする写真。。
一人旅なので自分の写真が取れていない。携帯ではないので内側カメラはついておらず、自分の顔が取りにくい。へんなショットになるのが嫌なので、顔を避けて撮った。 f^^;;

お遍路中は自分が写った写真は 2, 3 枚しか無いはず。。

そして、この後も坂を登り続ける。

札所に付く前でこんな記録がのこっている。

ライブログの記録。。


この続きは、続編に書きこんでいくことにする。

回想:自転車でお遍路 2010/05/19-2 歯長峠を越えて、旅館まつちや。

四十三番 明石寺 へ向かう歯長峠 入り口。雨が降り続く。この道は車もよく通る道で、路面は綺麗に舗装されている。登り始めはつづら折りの道。この先が見通せる感じなので峠は近い気がしていた。。
 四十三番 明石寺 へ向かう歯長峠。ここは上の写真よりもう少し進んだ位置。今地図を見てみるとまだまだ峠までは遠い。
 四十三番 明石寺 へ向かう歯長峠。これは上の写真の位置から坂を見下ろす形で撮影した。雨が川のように流れている傾斜もかなりキツイのが見て取れる。。
 四十三番 明石寺 へ向かう歯長峠にある峠の説明書き。これによると、この道は昭和 45 年に出来ているのか?それではこの更に上に続く遍路道しか無かったらしい。
 同じく歯長峠の説明案内。見にくいが、地図内の赤字の箇所がこの場所だ。地図が広すぎて後どれぐらいで峠だかわからない。。
 これは峠を超えたところ。実はこの手前にトンネルがあり、その間に峠がある。トンネルの先にこの休憩所がある。 14:45 の写真だ。ライブログからは 14:40 に送信しているのでそこそこ長い間休憩している。
丁度ここで、東京から来ている T氏と出くわす。確か宿は向こうが先立ったのでどこかで抜いたか?
が、ここで休憩している間に、今度は向こうが先に進む。
抜きつ抜かれつだ。
そうそう、今日の宿は同じところなので晩飯は合流する。
 四十三番 明石寺 山門 付近。
先程の休憩所からは下り道なので楽々進む。多少さまよいながらも目的の明石寺到着は 15:30 ぐらい。宿はすぐ側なのでこの日はいいペースで来ている。雨の中だと言う事を加味すると上出来では?
 四十三番 明石寺 山門。長い石段が続く。。こんなだったかどうか覚えていないな。。この周囲は高校だとか博物館だとかがあり、久しぶりに人が住んでいる感覚?だけど都会ではなく。。そう徳島あたりがこんな感じだったが。。そういう雰囲気だ。
 四十三番 明石寺 山門。お勤めをしてくる。
 四十三番 明石寺 山門付近 上り坂。そしてお勤め完了。
 四十三番 明石寺 近く まつちや旅館。
すぐ近くに予讃線の駅がある。駅前商店?
 車通りも多く、賑やかだ。
 「卯之町駅」という駅。
 そして、「まつちや。」。
これまで余り旅館をたくさん取らなかったが、ここは特別。それは予約の段階から始まる。
旅館の予約をするときに、普通は何時、何人、到着時刻は?などを確認する。それと名前。たいていは忙しいのでそれを確認すると「では、お待ちしておりますので。」みたいな口上で、電話を切る。
が、ここの女将は違っていた。「到着時刻はいつごろですか?」「もし、早めにつくようでしたら、ご連絡ください。お風呂を沸かしておきますので。」と。
で、私が自転車で行くことを告げ、これが屋内にしまえるかどうかを確認すると、「自転車は大変ですよ?」と教えてくれた。
そして、予言通り足を痛めてしまい、予約を取り消す伝をを入れるとすごく心配してくれ、くれぐくも無茶しないように念を押すのだ。私は旅程の関係でどうなるかわからないが、ここにだけは泊まっていきたいと思ってここまで来た。足を痛めていたのでちょっと心配していたが、なにより女将にお礼が言いたかったし、ここまで無事付いたことを報告したいと思っていた。
そして、無事ついたのだ。

旅館の中はこんな感じだ。古い建家で決してきれいなたぐいでは無いのだが、よく手入れされている人の匂いがする旅館だ。こんなところがまだ今の時代にあるのだ。
そして、毎日我々のような気まぐれ旅人を泊めているのだ。

そうそう、食事の際もここは他と違っていた。お遍路宿では全員が揃って食べる。ここでも同じなのだが、全員が席についた段階で、女将が正座し、挨拶を始めた。今日ここに集い、もてなしさせて頂く礼はもちろん、この地域の説明、歴史とか、自慢話?などを聞かせてれた。
若いうちならばこの関わり合いを好きになれなかったのかも知れない。が、この時代に、この人との関わり合いを大事にするこの宿をすごく気に入ってしまった。因みに、料理はライブログで出ている。

まちつやの晩ご飯。

手作り感たっぷりの家庭料理というか、もてなし料理というか。。高い材料などではないのだが、気持ちが入った料理だと思った。こんなことが出来るんだと。。ちょっと感動した。

この日の走行距離は 70.4km 。大雨の中、よく頑張りました。 (^^)


ところで、このお遍路では私は若者?
ライブログの記載を見てください。。

若者。



再テスト

もう一度



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場所:宇治市,日本

再テスト

先ほどはフラグoffでした。
Retry



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テスト投稿

ブログ投稿アプリのハグが直り、ツイッターと連動するはず。
ずっとお遍路の回想録を書いているので、一息。




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回想:自転車でお遍路 2010/05/19-1 大雨の宿毛街道。

この日は朝から豪雨。かなり強い雨が降っていた。予定では 43 番明石寺まで以降と考えていたが、まあなりゆきませか。雨の日は危険がいっぱいなので。ルート上には歯長峠というのがあり、ここが最大の難所だ。

宿毛街道にある自転車・歩行者専用トンネル。
雨がひどいのでトンネルは助かる。
雨に濡れるのを避ける意味もあるが、車道は危険だからだ

宿毛街道にある自転車・歩行者専用トンネル
かなり距離がある。
トンネルに併設されているのだが、
これは安心出来る。
こういうのは余り見たことがない。

宿毛街道 宇和島までの手前のコンビニ。
ここで糖分補給している。
ライブブログ

宿毛街道 宇和島までの手前のコンビニ。
しかし、すごい雨だ。。

四十一番 龍光寺 手前の上り坂。
余りに疲れたので一休み。。
こういう雨天のショットは防水カメラならではか?
四十一番 龍光寺 山門
到着は 12:38 となっている。結構かかっている。。やはり雨天のため速度をあげられない。まあ、この日は覚悟の上で走っているので、不思議と疲労感がない。


四十一番 龍光寺 山門


42 番、仏木寺。
四十二番 仏木寺 山門

四十二番 仏木寺 山門 周辺
歯長峠の文字が見えるが、これは徒歩での登山道のはず。自転車はこれを直進する。が、今地図をよーく調べてみると、峠を回避して、 56 号線のトンネルを通るルートがあるようだ。。

この先は、次のに続く。。