2011/05/07

回想:自転車でお遍路 2010/05/17 足摺岬。果ての果て?

土佐湾海岸線、中村街道。土佐西南 大規模公園

岩本町から七子峠で稼いだ位置エネルギーを放出していく。程なく、山間を抜ききり、突如海が再び姿を表す。
丁度、その場所がこの公園の入口だった。天気がよく、景色が綺麗だったので写真に収めたが、今日は足摺岬までの急ぎ旅。自転車に乗ったまま撮影したので構図がイマイチだが。。 f^^;;
そして、この日は次の札所が足摺岬の先まで無い。なので景色の写真が続く。。

四万十川
「最後の清流四万十川。」
頭の中をこの言葉がよぎる。
何度もよぎる。。。
四万十川
なんとかこの風景、空気を写真に収めたいと、
今度は自転車を降りたりして撮影してみる。。
四万十川橋の上から撮影。
更に進めて、今度は橋の上から撮影してみる。
四万十川橋の上から撮影。
船が見えたので、これを収めようと撮影してみる。。
足摺岬への以布利分
四万十川を超えた後、岬まで山道に入る。
一山超えたらいよいよ本格的に岬を登り上がっていく。
一部、車も通れない道を通るので、分岐に要注意。
この写真は翌日の目印に撮影。
そう、こんな感じで「遍路道」 (歩行者用) と分岐合流を繰り返す。

ここは車道との分岐地点だ。
明日はこの写真の方角で合流するので写真を撮っておく。

足摺岬へと続く長い登りの始まり。
ここはライブブログでも記録している。
この場所。




 そして、ようやく足摺岬に到着。
さんざん登りましたーみたいに思っていたが、ログを良くよくみると 海抜 100m 程度だった。。
走行距離が長かったせいでここまでしんどかったのかな?荷物もあったし。。やはりそこそこ漕いて登れるところでしんどいのではないかと。。かといってビンディングシューズで押し歩くのはそれはそれでしんどいので、やはり装備の影響もあるかも?

それはさておき、足摺岬に来るのは初めて。ここは関西から西の日本の中で一番遠くの部類に入るのではないかと思う。もちろん九州などもあるが、飛行機を使っていくことを考えれる。ここは公共の交通機関が無い。 (はず。)
 足摺岬にあるジョン万次郎の像。
多分、石碑に書いてあったろうが、今調べて、このあたりの御出身と知る。この人は米国に渡り、西洋の進んだ文明を日本に伝えた人として記憶している。
日本人は「英語ば話せる。」 = 「特殊な能力」 = 「変わった人」と捉えるふしがある。最近は英語など珍しくないが、それでもまだ周りにいる。語学を話せることは変わった話をする人という印象を持つ人がまた多いことに驚く。。
この人も数奇な運命を過ごしたとも聞く。
 足摺岬の案内板。
ここは岬の先に出ることが出来る。
一種の公園になっているようだ。。
が、山門が閉まらないうちにお参りしなくてはならないのでお参りして、宿にはいつてからまた出てこようと写真だけとってここをあとにする。。。
これが計算違いの始まりだと走らず。。
 三十八番 金剛福寺 山門。
大泉洋の番組で「どうでしょう?」という番組があり、 88 箇所を回るシリーズがある。お遍路から戻ってきた頃に丁度再放送していたので、録画してみていたら、このお寺も出てきた。
彼らは逆打ち (88 から逆回り。) しながら、徳島に向かうのだが、このお寺は飛ばしていく。何故ならば岬の先まで往復すると 100km あるからだ。
とんでもない悪ふざけではあるが、確かに遠い。
 三十八番 金剛福寺 山門。

無論、私はちゃんとお参りいたしました。
因みに、彼らはここを飛ばしたがために、行きたかったうどん屋に行けないというバチが当たりました。 (^O^)
「お天道様にうどん屋を消された。。」と。。











この後、ではホテルに入ってから公園に行こうと考えてホテルを探しに行く。。
それがなんと全然見つからないのだ。。
GPS はこの近くにあることを指している。時々途切れるものの、だんだん近付いていることを指していたのだが、その先には山がそびえており、道がない。。 -.-;;;

そして、それは坂の上の上。

この日のブログ

ようやくたどり着いた。。

この日の走行距離は 86.4km。

しかし、なんともきれいなホテルだ。
食事はかつおのたたきを食べたらしい。

この日の晩ご飯。


足摺岬 宿泊先 足摺テルメ 部屋テラスからの眺め。

足摺岬 宿泊先 足摺テルメ テラスから部屋を眺める。
足摺岬 宿泊先 足摺テルメ 部屋からテラスを眺める。













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