2011/05/07

回想:自転車でお遍路 2010/05/19-2 歯長峠を越えて、旅館まつちや。

四十三番 明石寺 へ向かう歯長峠 入り口。雨が降り続く。この道は車もよく通る道で、路面は綺麗に舗装されている。登り始めはつづら折りの道。この先が見通せる感じなので峠は近い気がしていた。。
 四十三番 明石寺 へ向かう歯長峠。ここは上の写真よりもう少し進んだ位置。今地図を見てみるとまだまだ峠までは遠い。
 四十三番 明石寺 へ向かう歯長峠。これは上の写真の位置から坂を見下ろす形で撮影した。雨が川のように流れている傾斜もかなりキツイのが見て取れる。。
 四十三番 明石寺 へ向かう歯長峠にある峠の説明書き。これによると、この道は昭和 45 年に出来ているのか?それではこの更に上に続く遍路道しか無かったらしい。
 同じく歯長峠の説明案内。見にくいが、地図内の赤字の箇所がこの場所だ。地図が広すぎて後どれぐらいで峠だかわからない。。
 これは峠を超えたところ。実はこの手前にトンネルがあり、その間に峠がある。トンネルの先にこの休憩所がある。 14:45 の写真だ。ライブログからは 14:40 に送信しているのでそこそこ長い間休憩している。
丁度ここで、東京から来ている T氏と出くわす。確か宿は向こうが先立ったのでどこかで抜いたか?
が、ここで休憩している間に、今度は向こうが先に進む。
抜きつ抜かれつだ。
そうそう、今日の宿は同じところなので晩飯は合流する。
 四十三番 明石寺 山門 付近。
先程の休憩所からは下り道なので楽々進む。多少さまよいながらも目的の明石寺到着は 15:30 ぐらい。宿はすぐ側なのでこの日はいいペースで来ている。雨の中だと言う事を加味すると上出来では?
 四十三番 明石寺 山門。長い石段が続く。。こんなだったかどうか覚えていないな。。この周囲は高校だとか博物館だとかがあり、久しぶりに人が住んでいる感覚?だけど都会ではなく。。そう徳島あたりがこんな感じだったが。。そういう雰囲気だ。
 四十三番 明石寺 山門。お勤めをしてくる。
 四十三番 明石寺 山門付近 上り坂。そしてお勤め完了。
 四十三番 明石寺 近く まつちや旅館。
すぐ近くに予讃線の駅がある。駅前商店?
 車通りも多く、賑やかだ。
 「卯之町駅」という駅。
 そして、「まつちや。」。
これまで余り旅館をたくさん取らなかったが、ここは特別。それは予約の段階から始まる。
旅館の予約をするときに、普通は何時、何人、到着時刻は?などを確認する。それと名前。たいていは忙しいのでそれを確認すると「では、お待ちしておりますので。」みたいな口上で、電話を切る。
が、ここの女将は違っていた。「到着時刻はいつごろですか?」「もし、早めにつくようでしたら、ご連絡ください。お風呂を沸かしておきますので。」と。
で、私が自転車で行くことを告げ、これが屋内にしまえるかどうかを確認すると、「自転車は大変ですよ?」と教えてくれた。
そして、予言通り足を痛めてしまい、予約を取り消す伝をを入れるとすごく心配してくれ、くれぐくも無茶しないように念を押すのだ。私は旅程の関係でどうなるかわからないが、ここにだけは泊まっていきたいと思ってここまで来た。足を痛めていたのでちょっと心配していたが、なにより女将にお礼が言いたかったし、ここまで無事付いたことを報告したいと思っていた。
そして、無事ついたのだ。

旅館の中はこんな感じだ。古い建家で決してきれいなたぐいでは無いのだが、よく手入れされている人の匂いがする旅館だ。こんなところがまだ今の時代にあるのだ。
そして、毎日我々のような気まぐれ旅人を泊めているのだ。

そうそう、食事の際もここは他と違っていた。お遍路宿では全員が揃って食べる。ここでも同じなのだが、全員が席についた段階で、女将が正座し、挨拶を始めた。今日ここに集い、もてなしさせて頂く礼はもちろん、この地域の説明、歴史とか、自慢話?などを聞かせてれた。
若いうちならばこの関わり合いを好きになれなかったのかも知れない。が、この時代に、この人との関わり合いを大事にするこの宿をすごく気に入ってしまった。因みに、料理はライブログで出ている。

まちつやの晩ご飯。

手作り感たっぷりの家庭料理というか、もてなし料理というか。。高い材料などではないのだが、気持ちが入った料理だと思った。こんなことが出来るんだと。。ちょっと感動した。

この日の走行距離は 70.4km 。大雨の中、よく頑張りました。 (^^)


ところで、このお遍路では私は若者?
ライブログの記載を見てください。。

若者。



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